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還暦に思うこと [日々着眼時々思案]



しつこく還暦記念ブログを行きますね(笑)。今回が最終回。

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60歳の誕生日を迎えることになって、意外だったんだけど、6月くらいからかなり楽しい気分、ワクワクな感じになりました。全然憂鬱とかじゃなかった。新たな気分がやっぱり還暦にはあるんだな、と思ったわけです。第二の成人、いや20歳になるときより多分楽しかったな。実は、誕生日前に財布なくしてカードやらIDやらあらゆるものを失くして愕然としたのね。でも数日したら、「まーいいや、余計なものはもうこれを機に捨てる。クレジットカードなんて何枚も要らない。断捨離だ!」っていうリセット気分になったんですね(やけっぱちとも言える…苦笑)。

還暦って具体的には、まわりの同級生に退職の話が出て来る、年金の支払いが終わる(笑)、保険関係なども終わったり、そろそろもらえるのも出て来る、大学の定年とかも見えて来る(爆)etc.…、そういう年頃です。人生の節目に、自然に新たな人生どうしようかって気分になる。そういう機会にせっかくだからイベント的なことをやりたいと思って、エイヤーとやったのがVALIS REUNION LIVE。そうしたら、思いもかけず6月にヤボちゃん(矢堀孝一)がヴァーチュオーゾで還暦ライブイベントを2回もやってくれて赤ちゃんちゃんこ着て(笑)、7/29誕生日当日は代官山レザールでの大どんちゃん騒ぎ還暦記念パーティーライブ。結局4回も充実したイベントをやることになりました。どれもホントに友人や音楽仲間、新旧生徒、ファンetc. が集まって祝福してくれた。

そして前回ブログに書いたように、8/1のモーションブルーのイベントは演奏も盛り上がって大成功。僕自身もこういうイベントをVALISで行なうことができてホントに嬉しかった。

このライブに備えて過去のVALIS音源を改めて聴いたり練習したりしていて思ったことは、ここに「自分が音楽家を志した原点」があるということでした。

VALISの楽曲は基本全曲僕のオリジナルなんですね。数えてみたらレコーディングしたオリジナル曲が35曲。それ以外にレコーディングしてない曲も合わせると40曲以上はある。口はばったいですが、この音楽が僕の音楽コンセプトそのものなんです。僕はジャズギタリストって範疇で認識されてると思うし自分でもそう言ってるわけですが…、まあ世界であまたいるそこそこ弾けるジャズギタリストだと自分では自覚しています。自分としては、それよりも、このVALISのサウンドこそが僕らしいっていうか、他では聞けない布川じるしのサウンドだって思ってます。だからよくシンガーソングライターって言いますけど、ギタリストソングライターなんじゃないかな、ってこの間気がつきました。

今回ライブをやって思ったことは、とにかくVALISのライブは曲ありき、かつメンバーが揃って成立するもので、ある意味ロックバンド的なスタンス。そういうことを僕はやりたかったんですね。一方、ジャズギタリスト的側面っていうのは、あくまでもギタリスト個人のプレイに焦点があたっていて、まあスタンダードとかやってるんなら、曲は何でもいいっちゃあ何でもいい。別に僕ごときがやらなくてもいい(笑)。

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プロになろうと思ったきっかけは?って聞かれることがよくあります。そのときに僕は「ナイトパッセージ」発売前のウェザーリポートのコンサートを観たことって答えてます。あまりに大感動してすぐ次の公演のチケットを帰り際に買った。「こんなバンドをやる!」って大学生が生意気にも思ったわけだ(笑)。ちょうど同じような時期に初めてジョンスコフィールド大師匠も初めて観ます。日野さんの「シティーコネクション」のときのコンサートでした。これもやられた。それからは、僕の目標は「ウェザーのようなサウンドでジョンスコみたいなギターを弾く」っていうコンセプトになった。それで音楽仕事を始めた頃にデモテープを作るわけです。

最初ははっきり言ってウェザーのマネでしたね。Young And Fineもどきの曲を書いて満足してました(苦笑)。でもあるときからそれじゃあダメだ!って思ったんですね。そこからが自分のサウンドの追求でした。僕は中学生の頃、音楽にハマり始めた頃のロックサウンドをミックスすることを考えた。そのあたりが新P朝の部での布川俊樹GroupからVALISへの移行の時期です。アフリカ音楽とかもよく聴いてた。だからウェザーとかジョンスコとかハービーとかそういうのはメチャ好きだったけど、そういう影響と同じような割合でポリスとかツェッペリンとかをまた聴くようになった。そういうことをやってるうちに自分のやりたいことがはっきりして来たってところかな。

で、僕は20代半ばまでには、かなり曲も書いていたし、サウンドには自信があった。まあ若くて鼻っ柱も強かったんでしょうね。とにかく「このバンドは売れるはずだ」って確信してました(苦笑)。ところがなかなかチャンスには恵まれない。結局 VALIS結成から91年ファーストアルバムまでは6年もかかるわけです。90年代は3枚アルバムリリースして一番ライブもやってた時代かもしれない。バブル崩壊して出て来たバンドだけど、当時はライブ状況もよかったし六Pで大体席が埋まるくらいは毎回入ってた。でもCDは3~5千枚くらい(ファースト出す前に出した教則ビデオが1万本以上売れてたからCDの売り上げには正直ガッカリした)。いまだったら悪くもないレベルだけど、当時はこれではブレイクには程遠いし、僕が目指したところではなかった(コンサートホールでやるようなバンドになりたかった)。

一番自分らしいサウンドだと思っていたVALISはそんな感じで、98年に金字塔とウルトラマンジャズとか出したら両方とも2万を越えるジャズ界では大ヒット。で、満を持して臨んだLA録音「ディパーチャー」や苦労を重ねた(実現まで色々トラブった)VALISライブ録音「ヒエログリフ」を出すとやっぱりそれほどは売れない(苦笑)。特に後者は売れなくて、もう存続させるエネルギーがなくなってVALISを解散することにしたんですけどね。要は自分が自信があったところで成功はせず、予想外の教則本や企画ジャズで売れる。で、僕は「ウルトラの人」あるいは「金字塔の人」になって大学の先生にもなった。一方でいまは「ジャズ渡世人」を名乗って求められれば何処にでも行く(笑)。

いま振り返って考えると、自分がアーティストとして成功するには何かが足りなかったんでしょうね。僕の人間力や淡白さもあったかもしれない。でもそれはそれでよかったと思ってます。人生はすべて他者との関係性だし、最初に自分が思ったようには進まない。色々な関係、状況とともに僕のここまでの人生があった、ってことです。人間万事塞翁が馬っていうのが僕の座右の銘なんですけどね。今回のライブでも、僕は素晴らしいバンドメンバーに助けられてこういうサウンドを作り出していることが心底よくわかるわけです。譜面ひとつとってもそう(苦笑)。若いときはあまりそう考えなかった。こんな好きなことをし続けて何とか食えてるだけでありがたい、そう思うようになりました。

とにかくここまで実に楽しい音楽人生だったと思います。あとはね、また違った気分で新たなことをやって生きたいなって思います。


最後に、わざわざお客さんとして観に来てくれた尊敬するバンジョー、ギター奏者の有田純弘さんからFacebookで頂いた大変光栄なメッセージを引用します。


「音に酔う」とは昨夜のようなことをいうんでしょうね。日本が世界に誇る布川ミュージックでした!会場にいた皆んなが布さんを誇りに思っていたでしょう。僕は間違いなくそうですよ〜。しかしそれにしても昨夜は凄い音楽が聴けたものです。


何と嬉しいお言葉!長い間やってきてよかった。この言葉だけでミュージシャンやって行けます。どうもありがとうございました。一層精進いたします。


皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。

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還暦マイナスワン師走の雑感 [日々着眼時々思案]



皆さま、こんにちは。2017年も残り10日となりました。今年はもう忙しくありません。来年戌年は人生6回め(1回めは記憶なし)、つまり還暦であります。


来年節目の年に向けて、最後の50代の1年をちょっと振り返ってみます。自分のための備忘録ですね。


この1年はかなり長く感じています。昨年暮れはずいぶん前のことに思える。公私ともに相当色々なことがあったし、充実した自分の活動ができたってことじゃないかな。


リーダーアルバムリリースに関しては、ベスト盤含めて5枚出しました(もし、お蔵入りの「ゴジラジャズ」をリリースできていたら何と6枚だったんですけどね。1年前はかかりきりな仕事だったもんな…涙)。2月の「布川俊樹SJP TRIO Live〜天空の滝」に始まり、5月に「ウルトラマンジャズヴォーカル&ピアノ」「ウルトラマンジャズベスト」、日本のウクレレ界の巨匠、キヨシ小林さんとのデュオコラボアルバム「キヨシさんとぬのさん」、そして9月には盟友福田重男とのデュオ 2nd「Old Boys' Dreams」。このアルバムは彼と作ったBacchus Labelという自主レーベルでの初作品となりました。慣れないレーベル仕事も勉強になりました。何せツアー中に二日酔いの朝に納品書書いてCDを発送したりしてるわけですから(苦笑)。僕の50代までのキャリアでリーダーアルバムは通算22枚。こんな歳になって、こういう活動ができていることには本当に感謝しています。



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そして、2015年にリリースした「DuoRama Standards」完全対応自主制作教則本「布川俊樹の The Standard Jazz Guitar」も引き続き値下げ価格1,200円で販売しています。この教則本、SJP TRIOライブ盤、福田氏とのデュオ作品は郵送販売も行なっておりますので、興味ある方は是非

n-valis@da2.so-net.ne.jp まで御連絡くださいね。


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ライブ活動、否、渡世人活動(?)も引き続き充実しました。SJP TRIOでは春秋2回のツアー。福田氏とは夏のツアー、そして渋谷大和田ホールでのウルトラマンジャズのイベントコンサート。その他、全国各地で様々なライブがありました。


大学せんせー業は早18年となりました。野球選手だったら大ベテラン。そこそこ古株なんで、色々雑事やっております(担任の先生みたいなことまでやってる。あ、それは雑事とは言わないか…苦笑)。それはそれで、いままで経験したことなかったから人生の糧となってる気がします。多分あと約5年、変化をつけて面白いことをやりたいですね。


カブ栽培は、今年はいままでで最も調子のよい年でした。考えてみて当初の目的は達したんだよな。自分のやり方はだいぶ固まったし、何と言っても身を律することは断然できるようになった。この投資を始めたことで、人生の考え方が色々整理されて来たことも多いと感じてます。一言で言えば、投資は未来への積極的行動であり、判断と決断です。そしてその結果に対するメンタルは、それこそ人間万事塞翁が馬やっててよかったですね。何かと大変な音楽家人生の心の支えにもなっています。今年はカブ大学も卒業しようかな、と一瞬思いましたが、まだまだ初心忘れず、趣味の「カブ栽培人」として次の目標に向けてガンバッて生きます(笑)。


プライベートでは、何と言っても息子の大学合格が嬉しかったなあ。最近は車の運転指導してます(笑)。



来年以降のことを書きましょうか。いまあれこれ考え始めたところかな。


前回の戌年が終わって翌2007年正月にHP「俊樹の部屋」に書いた投稿があります(現在、その投稿が最終回になってるんですが…苦笑)。まだ40代最後の頃でした。そこで僕は「60歳で死んじゃうと思って生きてみる」って書きました。このページ、PCからは読めますが、iPhone, iPadからは読めないので引用してみましょう。



(07.1.1アップデイト「俊樹の部屋」より)

実は去年ずっと何となく考えていたことがあります。それは60歳で死んじゃうと思って生きてみるということです。実際、かなり死んでもおかしくない年齢ですよね(笑)。これは、でもあせってスーパーアグレッシブにやるという意味ではありません。まあ「覚悟」と言いましょうか。僕ら音楽家の実際はピラミッド構造です。どういうピラミッド構造かと言うと年齢が高くなるに連れてやっていけるミュージシャンの数は減って来る、というあたり前のことです。僕が仮に70歳まで生きるとして、60歳以降に現役でミュージシャンをやっていられるのは、相当な生存競争を生き抜いていかないといけないでしょう。もちろん、老後保障などはほとんどありません。退職金もない。思うのは「たぶん60歳まではやっていける。ただその後はわからんぞ。全然仕事なくなって貧乏になる可能性もかなりある(笑)」ってこと。それはやはり不安ではあります。でもね、「60歳で死んじゃうよ」って考えると意外に楽なのね(笑)。あとはおまけの人生。それがいい感じだったら超ラッキー!!みたいに考える。「老後は明るく」症候群からの脱皮です(究極のメンタルコントロールですな…笑)。それでだ、次の干支が来るまでの12年間、60歳までにホントに、いままで作り上げてきた「僕の音楽家としての位置」から何か色々な可能性をですね、試してね、別のこともやってみたいし、もちろんいままでの延長上にあることもより成熟させたいと思ってるわけです。2年に1枚アルバムを出すとして自分のオリジナルアルバムは6枚ですよ(大体こんな考え方自体が古いかもしれない。12年後にパッケージングされたアルバムがまだあるのか?って疑問もある。これからの12年間はほんとに音楽の発信方法、ビジネスとしてのお金の回収方法がドラスティックに変わる時代となるでしょう。プロの音楽家がどう成り立っていくのか?わからないことだらけの今後です)。気合い入れてやらにゃー。



改めて読んでみると面白いな。いま実際にその年齢目前。まだ多分死にません。色々な音楽活動をしてきたし、アルバムは07年以降結局12枚出しました。数年前は、生きてるうちに20枚はアルバム出したいと思ってた(CDってものがどうなるかわからないから少なく見積もったんだけど)。それは今年アッと言う間に達成しちゃった。こりゃー上方修正と言えるでしょう(笑)。ただ、10年以上前に語っているように、震災挟んで色々やり方は変わりましたね。ほとんどいまは自分で作る自主制作をまずは考えるようになった(そういう活動のためにも投資は重要です)。


とにかく、ここからが何か面白いことができるような気もしてるんだな。


まず言えることは、還暦ライブはやりたい!それも色々なヴァージョンをやりたいな。


そのためには、やっぱり健康第一。実は、11月からずっと嗄れ声になってしまったんです。風邪っぽくないからイヤな予感がしてお医者さんに行ったら喉のポリープ。ひょっとしたら来年は手術もあるでしょう。さすがに60だからいままでみたいな無茶は厳しいのかなあ…、でも、まあ酒は…(苦笑)。とにかくこれからはよりケアが必要なことは自戒しないといけない。


ジャズ渡世人活動は来年ももちろん続きます。僕が渡世人を名乗り始めたのは、2011年大震災以降。何かアーティストって気分じゃなくなっちゃった。自分でできることを求められるなら、何処でも行って何でもやる、そういう想いだったわけです。とにかく「生き抜く!」。それは、自分一人ではできないこと。お世話になる方々と自らの運に常に感謝しつつ自分の果たせるミッションを遂行すること、それが渡世人の矜持なのです(ちと大げさか…笑。他に人には言わない意味もあります)。


実はあと2年後に個人的な目標があるんです。それに向けてジャズ渡世人としてもカブ栽培人としてもひと勝負ってところかな。


まあ、ガンバッて生きますよ。でも常に力は抜いて

柳に風!でね…(笑)。



今後とも何卒よろしくお願いいたします。


よいクリスマス、よいお年を!






 



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ボブディラン氏ノーベル賞受賞スルーをジャズギタリストが語る… [日々着眼時々思案]


こんにちは。ようやく秋っぽくなって来ました。でも直ぐ冬っぽくなっちゃうのかなあ…。Facebookで書いた投稿を推敲してブログにアップしました。

さて、久々に日々の雑感、チョー駄文ですが。ボブディランさんのノーベル賞受賞について思うことを。彼の音楽は好きだけど大体アルバム4枚くらいしか持ってないし(そのうち2枚はベスト盤)、ライブ観たことないし、全くファンとは言えない。初めて彼のことを知ったのは中2くらいの頃の映画「バングラデシュコンサート」だったかなあ。ジョンレノンの回想本とかでもやたら出て来て、ディランっていうのは偉いんだな、って何となく思ってた。ザ・バンドの解散コンサート映画「ラストワルツ」での彼も実に印象的だ(ちなみに、ライブハウス「ラストワルツ」オーナーでしおさいレーベル代表の石原氏なら僕の100倍はディランについて語れるだろう)。



ただ、今回のノーベル賞スルーはかなり面白いな、と思って野次馬ってます。これ、スウェーデンでの受賞式も何事もなかったようにスルーしたらもう「最高の世界の渡世人??」な感じで僕的には大喝采(爆)!


で、世界の何たらとは全く関係がない一介の日本ローカルジャズ渡世人ギタリストが、この状況でのディランさんの心持ちを、世俗な僕の人生にも起こる心持ちと比較してちょっと想像して箇条書きにしてみると



(1)心底興味がない。余計なことに気持ちを惑わされたくない。その人生観を守るべく一切関わらないと決めた。


(2)(1)よりもっと強い憤り。「欲しくもない賞を上から目線でよこしやがって!何でわざわざ授賞式出たりスピーチしなきゃいけないんだよ、勝手にノーベル好きでやってろ!」みたいな(笑)


(3)実は迷っている(あるいはホントは欲しい笑。だからいまの段階で拒否という決定はしない)。迷いのポイントは、賞をもらうといままでの自分のイメージが崩れる危惧にある。あるいはもっと根源的にノーベル文学賞の意味を考えている。


(4)もらってももらわなくてもよいが、いまはコンサートなどに集中しており、二の次になっている。これはまさにペンディングってやつ。



凡百ギタリストが思いつくのはこんなところかなあ。「実はものすごく欲しい」っていうのも書こうともしたけど、その場合はやっぱりすぐ受け取るだろうからたぶんないんだろう(笑)。


ただ、人生やってりゃ(笑)皆さんも経験あると思うけど、こういうことって「時間の経過」っていうのが重要だよね。もうこの「スルー」は既に強力に独り歩きし始めてる感じがする。ディランに「世界の渡世人(権威側に行かない)」を勝手に期待する僕のような野次馬もかなり多いだろう。一方で、この「スルー」を「何と無礼な態度だ!受け取らないなら拒否の表明すればいいじゃないか」と不愉快に思ってる人たちもそれなりにいるような気もする(あまりまわりでは聞かないけど)。


で、確か授賞式は12月。 仮に彼が11月中旬に意見表明したらどうだろう?そのときに改めて拒否するのはありだと思うんだけど。「1ヶ月ずっと考えてみてやはりこれは僕は頂く種類のものではない」と言う感じだ。でももし逆の場合、「ずっと迷ったんだけど、せっかくなので頂くことにした」はかなり難しくないか(寂しい感じ)?ちなみにその場合、勝手な期待をしている僕らは相当ガッカリする感じだな(もちろんどうでもよい外野の態度だけど)。


何かこういうことって、ちょっと仕事やら色々な返事をペンディングしてるときに起こる状況の世界的にでっかいヴァージョンのような気がするわけでした(笑)。


まあ超外野だしどうでもいいんですが、拒否表明もせずずっとスルーが一番面白いなあ。それこそ「あっしには関わりのないことで」っていう渡世人の態度であるからだ。


皆さんはどう思いますか?




P.S 1ボブディラン大ファンの方には大変失礼な投稿だったら何卒お許しを。


P.S 2…せっかくだから上記のザ・バンド「ラストワルツ」の映像貼っておこーっと。関係ないけどジョニミッチェル若い!

https://www.youtube.com/watch?v=Fvp3-WPul4I


P.S 3ミーハーのオイラは、この投稿をした後急にボブディラン聴きたくなって、車で超久々に聴いたら大感動。Just Like A Womanとか音程あるんだかないんだかみたいな歌い方がタマらん…。何かマネして一緒に歌いたくなっちゃう(笑)。やっぱり声の力だなあ。タンブリンマンとか風に吹かれてとか改めてホントにいい曲。



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FLOAT LIKE A BUTTERFLY AND STING LIKE A BEE [日々着眼時々思案]


20世紀最高のカリスマアスリート追悼投稿です。


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FLOAT LIKE A BUTTERFLY AND

STING LIKE A BEE

 

6/4にFacebookに投稿した記事を推敲してブログにもアップいたしました。


(6/4記)


マルタさんの広島県福山市神辺町コンサート大盛り上がりで無事終了して、岡山空港近くの温泉に移動。ひとっ風呂浴びて、NHKのビートルズの日本公演秘話を見ている。


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ビートルズ(特にジョン)の記者会見やインタビューの発言って子供心に憧れたものだった。それこそは僕にとってロックだった。そのビートルズが当時の世界ヘビー級チャンピオンが練習しているジムを訪れた映像が残されている(僕はVHSで持っていて、家の何処かに眠っている)。まだカシアス.クレイの頃なのかな。そのカリスマ性、発言はジョンと同様まさにロック、子供心にホントに痺れた。彼は予告KOを繰り返すから、確か公聴会か何かで、八百長なのではないかと疑われて弁明をさせられた。彼は言った。「次の試合で八百長でないことを証明する。◎●ラウンドで次はKOだ!」うろ覚えだけど、そんな感じだったんじゃないかな。最高のかっこよさですよ!アメリカとソ連の宇宙競争華やかしかった60年代前半、試合前に相手のことを聞かれて「あいつは俺のパンチで宇宙に飛び出して軌道を回るのさ」みたいな発言も。モハメッド.アリと改名してから、差別的な発言をした相手に、試合中ずっと「What's my name?」と言いながらぶん殴り続けた試合。最高だな。

 

リアルタイムで試合を見始めた70年以降のファイトも変貌遂げたマイルスみたいではあったけど、後になって見た若い頃のボクシングは、ヘビー級とは思えないスピードと軽やかさ、実にグルーヴィーだったなあ(彼がソウル系の番組に出てダンスやら歌やらやってるのもハマってたな)。

 

ジャズでそういうとにかくカッコよくてカリスマな存在はマイルス.デイヴィス以外あり得ない。マイルス、ジョン.レノン、そしてモハメッド.アリ。僕の価値観を作った60年代、70年代のカリスマが次々と消えて行く。

 

僕の人生における最大の逆転劇「キンサシャの奇跡」、そして高校からの帰り道に猪木アリ戦予想を悪友同士であーだこーだ言ってたのがいまフラッシュバックしている。

 

改めて、20世紀最高の偉大なカリスマアスリートの死を心より悼みます。合掌。


 

(6/7追記)


モハメッド.アリに痺れ、20代の頃、彼のようなイメージ(かっこよさ、スピード、千変万化、ドラマ)を持つ曲を書きたいと思った。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というアリを形容した有名なフレーズから曲のタイトルを取った。「Ali's Dance」!


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僕のリーダーアルバムで人の名前を冠している唯一のものだ。僕が「かっこいい!」(僕にとって最高の価値観)と心底感じた存在こそがモハメッド.アリだったのだ。

 

僕はこの曲が出来たとき、初めて自分ならではのサウンドができたと感じることができた。以下URLは2012年VALISリユニオンライブ演奏映像。録音はかなり悪いけど、熱い演奏は伝わると思う。曲のエンディングは僕にとって「キンシャサの奇跡」の逆転KOです(笑)。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ye-Dt2-muxw


 


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恐るべし AI ! [日々着眼時々思案]


おはようございます。昨日御茶の水G Club Tokyoでのレッスン仕事行ったらマニュアルを貰った。4月新年度から生徒とのレッスンスケジュール決めなど全てサイトで一括管理で行なうことになった模様。



大学事務仕事は既にすべてポータル化している。以前はメールでお知らせがあったことが、ポータルをちゃんと見てないと情報もゲットできなかったりするわけだ(見ているのが当たり前とされている雰囲気)。これが忙しかったりするとおろそかになるんだよねえ。全てがポータル化すると、何かにつけて融通が利かないことも多く、実に「古い奴」にはめんどくさい(苦笑)。



思うことはですね、これだけこういう流れだと、いわゆる事務仕事っていうのはどうなって行くんだろうな、ってこと。よく雑誌で、これから消える職業、残る職業みたいな記事があるけどかなり考えちゃうな。



閑話休題。囲碁にはまったく疎いんだけど、AIがトッププロ棋士撃破みたいなニュース。将棋だったら羽生名人が勝てないみたいな話でしょ?



http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160312-OYT1T50073.html

 


寂しいねえ。囲碁、将棋を始めとするゲームでは、学習するようになったAIに人間が勝てなくなったってことは、そのジャンルでは人知が及ばない神がAIだというようにも思える。人間はそのAAIの手筋を研究して強くなろうとする、ってことになって行くのだろうか



翻って仮に音楽だったらどうだろうか。いままでの音楽の方法論(あらゆる作曲やら演奏のスタイルやら)を記憶したAIってどんな感じだろう。そこに適当に緩い失敗やらアバウトなところまで考えられていて、かつ学習する AI が音楽を作ったら(昔、高校同級生加藤総夫がジャズ本でそんなこと書いてたな)。



倫理的な問題や経済的なインセンティブがあるか否かとかは置いといて、録音する音楽だったら相当いいもの(感動できるというような意味において)ができるようになると僕は想像する。



ライブパフォーマンスは、人間がやることろを見ないと面白くないから(肉体がポイント、つまりは身体性)まあしばらくはダメだろうけどね(そういう人間の価値観が変わらない限り)。ロボット野球チームがいくら強くても面白くないでしょ?まあ、人間にとってはだけどね



若い頃、好きだったSF世界は本当に具現化しちゃったなあ。自分が生きてる間にAI音楽家を研究して音楽をやるなんていう時代にならないことを願いたいところではあります(笑)。





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生涯一ジャズ研! [日々着眼時々思案]


皆さん、こんにちは。2月です。何かと色々長かった1月でした(カブは大嵐を食らって品質落として出荷…苦笑。もう畑にはほとんどありません。また仕入れ時を狙いますよ!)。

さて、かなりプライベートな内容ですが…。

僕の生き方の根本にあるのは、中学生の頃のマインド。そして音楽をやろうという態度の根本にあるのは、大学ジャズ研時代にあるとずっと思ってます。

ジャズ研の連中に会うと、もう自然に大学時代の感じになる。それも
東京工業大学なんていうThe理系のジャズ研。女子はほぼ皆無(あ、昔はです)。ちょっとオタッキーで、細かいこと(往々にして大して役に立たない)で議論っぽい感じになったり。いまでも、40〜50代が中心で奥沢リトルジャイアントという我々の隠れ家的なスペースで定期的にセッションをやったりしてるわけです。僕はジャズマンになっちまったけど、サラリーマンになった連中もホントにジャズが上手い。とにかくジャズ魂が何かよいんですね。

それが久々に大きな結晶になったのが、皮肉なことに昨年の Dr.滝澤謙治追悼ライブでした。


そこには、ホントに何十年ぶりかのジャズ研の連中が集いました。

で、僕が言い出しっぺになって、ジャズ研大OB会をやろうという話が持ち上がったわけです。幹事長は追悼バンドメンバーで1年先輩のハービー橘高さん、そして事務局長がリトルジャイアントの名シェフでこういう仕切りの達人、3年後輩のちあき。もう1人、ちあきの同級生でやっぱり追悼バンドの魂のドラマー西尾。そして僕の4人が幹事になりました。で、その日に2/1(土)という日にちだけを決めました。

それからは、名簿の整理です。前回OB会はほぼ10年前。古い名簿や色々Facebookなどを使って連絡先をあたります。ずっと会っていない懐かしい先輩後輩から参加の返信が来る。嬉しいですねえ。そして準備期間数ヶ月、遠くはアメリカ、日本各地から人が集まることになったのです。

2/1(土)中延ボナペティーが会場となりました。僕はちょっと武蔵小杉に用事があってそこから行ったんですね。目黒線で大岡山まで。この駅で降りるのも何十年ぶり。懐かしいと言いたいところですが、ずいぶん前に地下駅になっちゃったんだよなあ。以前の大学が見える電車はよかった。で、大井町線に乗り換えて中延です。店に行く前にちあきと西尾に会っちゃった。ちょっと早いから飲んで作戦を練るかって飲み屋を探したらほとんどなし。で、早めにボナペティーに行ってビールとなりました。まずは幹事達で席決め。こんなことを僕があーだこーだやってるのは奇跡です(笑)。

で、どんどん人が集まって来ます。意外に皆変わってなくてすぐわかりました。会の始まりは橘高幹事長から今回の趣旨説明。大OB会は4年に1回冬季オリンピックとワールドカップの年にやる!宣言、毎年セッション的なOB会は持ち回り幹事でやって行く、などの今後の方針が説明されます。そして、東工大ジャズ研プロミュージシャンの草分け、大口純一郎さん会長就任への了承を満場一致で決定(ちなみに大口さんまだ来てない…笑)!乾杯の音頭は、今回の最長老1960年入学の富田さんにお頼みしました。入学年度が僕1歳(笑)。乾杯の後は歓談タイムです。年配の方から僕の2年上くらいまでの世代は自己紹介的な御挨拶がありました。富田さんによるジャズ研創成期の話が聞けてとてもよかったですね。ディキシーとかで営業の仕事も多かったみたいです。昭和30年代そうだろうなあ…。ダンスバンドもてそうだぞ。だいたいこの日の参加者60人以上で僕は約30番目。全然ペーペーでございます(笑)。

しばらくして、司会のちあきから紹介があって、現役学生による演奏が2曲ありました。ジョーヘンのInner Urgeとギラッドヘクセルマンの11/8拍子の曲。実は彼らが演奏したのは理由があります。部室のピアノが酷いので新たなものにするための資金カンパをOBに募ったわけです。ここで、こんな難曲(何かまさに理系的…笑)を持って来た彼らの気概はお見事!素晴らしかった!演奏もビックリなレベルです(ピアノは1年生だった)。もちろんかなりの資金が集まりました。アンコールでブルース(だったような…記憶が曖昧)。

そして大拍手の中、僭越ながらワタクシが講評。って酔っ払ってるし「素晴らしい!!」って言っただけ(笑)。で、僕がちょっと思い出話をしつつ、大口純一郎さんとのデュオ演奏となりました。大口さんには大学卒業時、目をかけてもらってライブハウスにお邪魔して弾かせてもらったり、大変お世話になったわけです。 It Could Happen To You。たぶんデュオは初めてだったんじゃないかな。結構緊張したけど楽しかった。いくつになっても先輩はいいもんです…(しみじみ)。

これも満場の拍手。締めは大口さんの御挨拶。「事務的なことはできないよ(そりゃーそうでしょう。まったくそういう性格の人ではない…笑)。でもこういう会はいい」みたいなお話だったと思います。

会は名残惜しい中無事に終了。大先輩方に2次会に誘われましたが、幹事の諸々もあったし、引けるのは遅くなって、僕らのまわりの世代の2次会となりました。

何にしてもこんな楽しい時間はそうあるもんではありません。会の間中ずっと浮き足立った感じでしたね。あまりに懐かしい人が多くて、話も色々できなかったのは残念です。

ところで……
今回の参加者ですが…

60人以上いて全員男!!男子校か(笑)??

The 理系の東工大ジャズ研、いま流行のリケジョに負けないリケジャを盛り上げて行こうと我々は誓ったのでした。

でもリケジョもジャズ研に入れよう(笑)!!

以下が当日の絵模様です。西尾カメラマン、サンキュー!!



改めて…

生涯一ジャズ研であります。






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自分がやるべきこと [日々着眼時々思案]



皆さん、おはようございます。

今年はブログで新年のご挨拶をしていませんでしたね。

寒中見舞いの時期になりましたが、今年最初の記事ということで…、


本年もよろしくお願いいたします。


たぶん、いつも年初には何か書いていたと思います。ちょっと今年はそういう気分になりませんでした。

実は、年末に親友が大手術をしました。生死にかかわると言ってもよかったかもしれない。その彼の病になってからの態度は、他の旧友たちを驚かせる立派なものでした。何回か見舞いに行ったときの振る舞い、気遣い、正直な気持ちの吐露とともに節度ある覚悟と生への意志の表明。大げさにならず自然に振る舞う(そして彼はそれを成し遂げていた)彼の態度に僕は感動さえ覚えました。

「これからは、自分にとってやるべきことをやり、やらなくていいことは明確にやらない」と彼は言います。別の友人は、「彼の無意識への気づき」とそれを表現しています。彼を見て、果たして僕が彼の立場になったらどうだろう? 万事塞翁が馬道は貫けるか? そんなことを何度も考えました。ジムホール翁の死(あるいは生き様)はそんなときにまさに重なりましたね。この暮れから正月は、改めて「自分がやるべきこと」をいつにも増して考えたときだったのです。

僕の人生は、前々回の記事に書いたように(http://nunosan.blog.so-net.ne.jp/2013-12-25)、子どもの頃からの夢、願望に向けてかなりストレートに歩んでいるものだと思っています。それは多分かなり稀有なことです。僕は正規の音楽教育など何も受けていないし、いわゆるアカデミックな音楽的才能に優れた人間ではまったくありません。楽器も大して巧くない。ただ僕は願望にストレートに向かって行った。それだけです。で、何とか楽しく生きている。そんな幸運な人生を歩ませて頂いているのだから、僕にとって「自分のやるべきこと=願望」を今後も全うして行くことが、この幸運に対する恩返しであると考えます。

取りあえず60歳までのあと5年、「自分がやるべきこと」を、より削ぎ落して力を抜いて実行して行く所存です。ここ10年大きく変わった音楽界で、あらゆる方法でサバイバルして行きます。こだわりもほとんどありません。でも、こだわらずとも僕はいつでも僕になっているという自負はもうあります。ポリパフォーマンスという前人未到の地を行くワンアンドオンリー鈴木よしひさくんと昨秋共演したときに言われた言葉は嬉しかったな。「布川さんのギターだけはすぐわかる」。



と大げさに書いてしまいましたが…(笑)、


これは、あと5年でどんな音楽をどれだけやりたいとか、アルバムを何枚出したいとか、そういう感覚とはちょっと違います。

実は僕のやりたいことというのは日々の何気ないことです。サバイバル自体を楽しんで新鮮な気持ちで行なう人間としての態度です。それがどんな形であれ、僕の表現となります。そういう心性から、新たな自分の音楽への希求も生まれる。僕の内なる野望(これは秘密…笑)もあせらず実現に向けてガンバります。実は昨年、やりたいことが色々広がったんですよね。

あまりに抽象的でわかりにくいと思いますが、いま言えることはこんなところです。

今年も精進して行きます。でも、基本は

ジャズ渡世人(笑)

偉そうなもんじゃございません。柳に風ってな感じで、しなやかに飄々と力を抜いた振る舞いをして行きたいもんです。


最後に友人がFacebookで紹介してくれた、マーティンスコセッシが娘に宛てた手紙の文面の素晴らしい言葉を引用します。


あなたを映画作りに駆り立てた閃きを守らなくてはいけない。命を賭けて守らなくてはいけない。



何と素晴らしい言葉でしょう。肝に銘じます。

ということで、今年も皆様!


何卒よろしくお願いいたします。





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子どもの頃の夢 Part 3「果たして自分は夢を達成しているのか?」 [日々着眼時々思案]



メリークリスマス!!


年末特別企画記事「子どもの頃の夢〜」Childhood's Dream 
第3回めです。自分のことばっかり書いてるけど、お楽しみ頂いてますでしょうか。

さて、最初に戻りましょう。一体、僕は子どもの頃の夢をどれくらい達成しているのか、ということですね。

 

子どもに聞く最もティピカルな質問の1つ、「大人になったら何になりたい?」たいていは成りたい職業を指す質問です。僕は以下のように変遷して行きました。

 

●小学校低学年…プロ野球選手。田淵だぜい!


●小学校6年…国鉄総裁。鉄っちゃんだし。東海道線の駅名全部覚えた!


●中学生…田宮二郎みたいなパイロット。山本陽子みたいな彼女がいるのがミソ…(爆)


●高校3年…建築家。清家清の違いのわかる男みたいな。あのCM見て東工大6類(清家さんは当時東工大教授)受けました(超爆)


●大学1年…雀師(ウソ)


大学3〜5年…ジャズマン



●ホントになっちゃった32年間!!



●現在…卓越したカブ栽培農家(激爆!)

 

 

というのが僕の人生での「成りたい人(職業)」の変遷です。

 

しかし、こういう風に考えると、本田さんとかイチローさんとかはやっぱりビックリしちゃいますね。もうこの変遷矢印がない人生なわけです。何てったって小学校の作文が「セリエAの10番」。僕は「国鉄総裁」(だいたい国鉄ないし…笑。でもこの作文、なかなかだったのよ。田中角栄の日本列島改造論みたいなことを6年生が書いてるの)。

 

それは置いといて、大学3年生からの「音楽を生業としてそれで食う」「好きな音楽を自分の表現として実現する」って意味でのジャズマンという夢(?)に関しては、前者はいまのところは何とか成し遂げてるし(今後はわからんです…怖)、後者は、充分僕はやってると思ってます(もちろんいつまでも精進は続くし、やりたいことも変わる。でもいままでやってきた音楽で僕は悔いのない表現はやっているつもりです)。そう考えるとよい人生なのでしょう。だいたい、人生にいわゆる上司がいたことがない、ってのも考えてみてすごい(笑)。全部自分の選択です。だからストレス少ないんだろうな…。

 

僕は30歳くらいの人生色々♪真っ盛り(笑)だった頃から「人間万事塞翁が馬」が座右の銘になりました。あまり詳しくは書きませんが、僕の考えの基本は、自分が行った人生の選択が良かったか悪かったかは根本的には判断できない。ただその選択の結果は潔く受け入れる、というものです。そういう精神性になれば、自己を否定することも、他人を羨むこともなくなります。怒ることもほとんどない。

 

僕はVALISというバンドを始めた頃、相当メジャーになって売れるつもりで、夢と希望に溢れていました。海外とかにも行きたかった。でも、それはまあ達成はしなかった。だけど、それも人生です。何かが僕には足りなかったんでしょう。もちろん僕のモチベーションもあります。でもホントに好きなことはやった。それは僕にとってよかったことです。だから、塞翁が馬人生観の僕にとって、夢破れて残念なんてことはまったくありません。

 

そして、40歳くらいのときに自分が何か行動(特に仕事)するときの原理、価値観を自分で整理しました。これはエッセイ

「ジャズの壁を超える100のアイディア」にも書いた

「Q95 仕事へのインセンティブ」です。演奏、創造、仕事、名誉、伝達、金銭、勝利、協力、愛、くつろぎという10個のインセンティブを考えてみたんですね。こうやって自分のやっていることを分析すると何か問題が起きたときに心を平静に保つことができるようになりました(詳しくは本読んでね…笑)。

 

要は、いまのところ、実に好きなことをやり続けている、って人生なんですね。本当にありがたくラッキーなことです。

 

 

これが、僕へのクリスマスプレゼントってことだな。

 


来年も「人間万事塞翁が馬道」精進いたします!

 

 

 

Childhood's Dream

Childhood's Dream

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: BQ Records
  • 発売日: 2011/07/13
  • メディア: CD

 


ジャズの壁を超える100のアイディア (jazz guitar book Presents)

ジャズの壁を超える100のアイディア (jazz guitar book Presents)

  • 作者: 布川俊樹
  • 出版社/メーカー: シンコーミュージック・エンタテイメント
  • 発売日: 2010/06/02
  • メディア: 単行本

 


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子どもの頃の夢 Part 2「ジムホールとジャズギターな僕」 [日々着眼時々思案]



今年は、僕の人生で重要な人が亡くなった年でした。

知人では恩人であった滝澤謙治さん。あの人の追悼ライブ終わったら何か今年の仕事が終わっちゃった気がするくらいでした。

そして、知人ではないけど、僕にとって「ジャズギターの父」であったジムホールさん。僕だけでなく、コンテンポラリージャズギタリスト皆彼の息子です。僕の心の師匠ジョンスコフィールドさんやパットメセニーさん、ビルフリゼールさんは「ジャズギターの兄」なわけです。

ジムホールさんは昨年来日ライブの他数回ライブは観ています。来年1月にライブが予定されていたロンカーターさんとのデュオは昔のブルーノートで観ました。ビックリしたのはその音量の小ささ。まるでレッスンやってるときくらいの音量(あるいはそれ以下)だったから、それこそグラスをテーブルに置くのも慎重に、みたいなライブでしたね。緊張感バリバリ、でも本人たちはリラックスみたいな理想的な音の会話がそこにありました。また行きたかったのにな…。

前回の続きで、中学時代にタイムワープします。

僕がジャズギターに興味を持ったのは、アルヴィンリーというテンイヤーズアフターのギタリストが最初。速弾きギタリストと言われてたけど、いま聴くと全然速くない…(笑)。実に味わいのあるギタリストにも聞こえます。彼がジャズギター好きでアルバムに1曲くらい4ビートの曲が入ってる。それがかっこいいな、と思ったのが最初かな。

その後、サンタナが師と仰いで大推薦してたジョンマクラフリン。マハビシュヌオーケストラは衝撃的だった。何じゃこりゃー、ってもうとにかく聴いたことないサウンド。それから芋づる式にマイルスとかそういうのに繋がって行くんだけどね。

あと、中3の頃ラジオ番組で聴いたウェスモンゴメリー。こりゃーアルヴィンリーどこの騒ぎじゃない(笑)。まあオーセンティックなジャズギターはウェスが初体験なのかな。で、中3の頃はロックとジャズ半々だったかな。ロックはブルースロックみたいのになってた。ジミヘン、ジェフベック、クリーム。初めて行ったコンサートはBBAだしね!

で、高校入学後は完全にジャズっ子になってロックからは離れました。だからクイーンとかリアルタイムで聴いてない。ホッケー部でキーパーやりながら(ウソみたいでしょ…笑)、帰りにジャズ喫茶寄ってみたいな高校生活。一番ジャズ喫茶行ってたのは2年の頃かなあ…。当時はマッコイタイナーみたいなガンガンなモードジャズ全盛時。僕もフリージャズやらそういうのを小難しい顔して聴いてたわけです(いま考えると何か可愛い…笑)。ジョンコルトレーン命日企画1日コルトレーンしかかけないメリージェーンとか5時間くらいいたりしてね。それであるとき、渋谷の音楽館(だったと思う)で、ジムホールの「アランフェス」がかかった。何か軟弱な感じだな(苦笑)とか一瞬思ったんだけど、いつの間にかそのメロディーの弾き方に完全に引き込まれていました。何でこんなに繊細に美しいんだろう。17歳のガキにわかる由もありません。


2年生になって、大先輩OBに笹路正徳さんがいるジャズ研に入り、ウェスモンゴメリーコピーバンドから始めたわけだけど、ウェスに続いて好きになったのがジムホール。音楽性などでは、僕の時代性から考えてもジムホールの方がサウンドは目標となるものでした。アランフェス、ライブイントーキョー、ジムホールライブ、コミットメントと矢継ぎ早に新譜がリリースされる度に買いました。4つ切りでベースラインにコードつけるのを最初に聴いたのもライブインジャパンのTwister。かっこよ過ぎ、悶絶して聴きましたね。あとドラムとのデュオでの自由なインタープレイ。コンテンポラリージャズギターのお手本でした。「ジムホールライブ」のScrapple From The Appleもすごい。いまも大学授業「ジャズギターの歴史」でかける度に、40年近く前なのに、まったく現在(いま)のギターのサウンド!!って感動しちゃうんだよな。ちなみにLPジャケットに楽譜がちょっとついてたりして、そういうのも嬉しかった。で、だんだん遡ってジムホールインベルリンとかWhere Would I Beとかソニーロリンズの橋とかもチェック。最も当時聴いたジャズギタリストになりました。

そして、ジム翁の演奏を最初にコピーしたのは、2年の終わりか高3になってからです。自分では音なんて到底取れないから、渡辺香津美さんのジャズギターインプロヴィゼーションという教則本に載ってた(ホントによい本でした)のを何曲か最初はコピーしました。ロンさんとのデュオ盤から I'll Remember April, Autumn Leaves, Softly。あ、あと高橋信博さんが書いた(中牟礼さん監修)コピー本も役立ったな。コードの考え方の元になりましたね。 あとジャズ研でアランフェスのYou'd Be So Nice〜やブルースのテーマだけ取って(タイトル失念)やろうとして崩壊したり(笑)。

大学ジャズ研に入ってからは、興味がバリバリフュージョンのテクニカルなものに移ってジム翁はあまり聴かなくなってたのが、4年くらいになってプロミュージシャンを志し始めた頃にふと聴いたアンダーカレント。完全にやられました。何という美しいタッチ、アーティキュレーションと表現力、自在な演奏展開、リズムとグルーヴ。これ、ホントなんだけど、毎日、寝る前に必ず聴いていた音楽です。で、途中で I Hear Rhapsodyが終わる頃寝ちゃう(笑)。昼間はジョンスコ師匠のソフトリー、夜中はジムホール大師匠のマイファニーみたいな時代がありました。

ジム翁が本当にすごかったことの1つが、完全に生涯現役であったということです。歳を取ってもいわゆるシブい味わいのサウンドとかに行かなかった。ワーミーを使って変てこな音でスタンダードやったり、70歳過ぎての10年余もまったく現在(いま)の音を追求していたと思います。

それは憧れであり、55歳の自分など改めて若造と自覚します(笑)。彼を道標として、今後もジャズとギターを精進して行くつもりです。

朝、自宅でお亡くなりになっていたということ。詳しいことはわかりませんが、大往生であったことを願います。最高の人生ですね!!謹んで偉大なジャズギターパイオニアの御冥福をお祈りしたいと思います。ありがとうございました。



P.S…ジムホールさんが、ジャズライフのインタビューで、「僕はジョーパスみたいに弾けないから…」というような趣旨のことを言ってたのを急に思い出しました。僕にとってはまったくジョーパスさんとは違う意味での圧倒的バカテクなんですけど。ビルフリゼールさんもそうだけど、偉大な方々はホントに謙虚です。見習いたい姿勢です。

以下のYou Tube映像を御覧ください。ジムホール大大師匠!あり得ないバカテクです。





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子どもの頃の夢 Part 1「ビートルズとロックな僕」 [日々着眼時々思案]



皆さん、今晩は。ずいぶんブログも御無沙汰になってしまいました。

気がついてみれば師走。年末ライブは少ないけど、大学の締め&冬期講習、年内宿題シベリウス譜面書き、子供の受験、親友の大病での入院、飲み会(笑)、最後のかぶしょーぶ(爆)などてんやわんやです。

でも、そういうときに限ってブログとか書きたくなるわけです(笑)。年末年始、物事や自分の生き方を考えるときです。この歳になると、とても近しい人の病気、そして死というものにも直面し、自分の残りの人生をどう生きるかということを若いときよりも考えるようになりましたね。

今回の記事のタイトルは「子どもの頃の夢〜」、まさに福田重男と僕のデュオアルバムタイトル名ですね。一体、僕は子どもの頃の夢をどれくらい達成しているのかな。

それを考える前にですね、最近よく思うんですよ。僕は音楽家でずっとやってるけど、果たして何か昔と変わったのかな?ってね。

それを一番感じたのは、10月に行ったポールマッカートニーのコンサートです。僕のまわりでもたくさんの音楽家があの大イベントに行き、涙した。もちろん70歳過ぎて演奏、ステージング、ヴォリュームすべてにおいて最高のクウォリティーのステージをやる、そしてあまりの数の珠玉の名曲群。それはそれは純粋に素晴らしい音楽ライブであったことは間違いないんだけど、それに加えて、あそこに行った人たちは、皆それぞれに「ビートルズ体験、ポールあるいはウィングス体験」を持っている。それはあまりに人生に張り付いちゃってると思うわけです。それがより涙を誘う。僕の涙腺は5回くらい決壊しましたね(少ない方かもね…笑)。Something, Paperback Writer,Back In The USSR, Let It Be, Golden Slumber〜The Endあたりかな。

僕が洋楽を聴き始めたのは中1の冬。最初はポップスのラジオ番組でした。僕にとってはポップス〜ロックの黄金時代です。キャロルキング It's Too Late、カーペンターズ Superstar、エルトンジョン Yes,It's Me、シカゴ Question 67&68、スリードッグナイト Joy To The World、ジョンレノン Imagine、ジョージハリスン My Sweet Lord、ポールマッカートニー Another Day、CCR雨を見たかい、ピンクフロイド吹けよ風呼べよ嵐、ツェッペリン Black Dog、ローリングストーンズ Brown Sugar……みんなリアルタイムです。

で、親に当時ブームだった4chステレオ(オーディオブームな時代でもあった)を買ってもらって、最初はシングル盤を買いました。上にあげた曲はほとんど買いましたね(よくお金あったなあ…)。あとニールダイアモンドのSweet Carolineとか。最近テレビで流れて懐かしい(笑)。ビートルズはHelp! とHey JudeとYesterdayとLet It Beを買ったかな。

まだギター始めてたかどうかは記憶ないけど、一番最初に洋楽を聴き始めたのは、悪友でいまや世界を股にかける超有名プロデューサー、カマダでした(彼はFBでも友達。いまもメチャ面白い人生送ってる…笑)。ギターも彼が最初。僕は彼に強い影響を受けました。で、最初はガキたちで「ビートルズのメンバー4人言ってみ?」みたいなことをやりあってた。「え、ジョン、ポール、ジョージ、あと一人誰かな?エルトンジョン??」みたいな(爆)。ギターは当時吉田拓郎で大流行だったフォークとかもやったけど、僕は何と言ってもロックでした。ミュージックライフとか買って必死にバンドとメンバーの名前覚えたなあ(笑)。ギター始めたのもその頃です。

しばらくして「やっぱLP買わなきゃダメっしょ」みたいなことになり、エルトンジョンスペシャルコレクション、シカゴギフトパックと続けて買った。3枚めがビートルズのヘルプ。僕はルックスはジョージが好きでした。裏ジャケのデニムシャツとTシャツの重ね着がかっこよくてマネしましたね。ちなみにポールはTシャツ一丁(記憶合ってるかな…)。それからレットイットビー、アビーロード、サージェントペッパーズ〜、リボルバー、ラバーソウルあたりを5,6枚買い続けました。父親が会社にギター上手い若いのがいるって言ってウチに連れて来てくれたこともあった。Get Back弾いてもらって衝撃!そのときに「これが最高だよ!」って言ってホワイトアルバム貸してくれました。確か4,000円以上して高くて買えなかったものだったから嬉しかった。ビートルズで一番好きなアルバムになりましたね。ちなみに、僕が最初にコピーしたギターソロはLet It Beのソロ。こんなかっこいいメロディーをギターで弾けるのかって思ったなあ。メジャーペンタだけなんだけどね。それから2年くらいペンタでソロを取るのに嵌ることになります。

中2になって、買い集めたビートルズのLPは全部同級生アクネに売っちゃった。それがきっかけで現在(いま)でも親友です。そのお金はツェッペリン、グランドファンクとかに変わりました。その後はテンイヤーズアフター、ストーンズ、クリーム、パープル、ジェフベック、ジミヘンとかのギターヒーローの音楽、ハードロックやブルースロックに鞍替えして行ったわけです。「え、ビートルズまだ聴いてるの?」みたいな感じかな(苦笑)。ホントは好きなんだけどさ。

とにかく、僕の音楽の原点の最もコアな部分にビートルズがあることは間違いありません。この間のポールのサウンドを聴いたときも、色々再認識させられましたね。コードやメロディーのアイディア、構成の複雑さ、ぶっ飛んだ狂気さえも存在している音楽の振幅。それでいて、思い切りメロディックでポップであるという…。まあ、すごい音楽なわけです。例えばAnother Dayなんか途中で全然違うメロディーが組み合わさってたりする。拍子も変わる。いまメジャーなポップ音楽でそういうのあんまり聴かない気がするんだな。

で、ホントに最近思うのが、子どもの頃、最初に好きだった音楽は、ほとんど現在(いま)聴いてもグッと来るということ。ポールのコンサートの大感動醒めやらないときに、スカパーでクリーム68年アルバートホールコンサート観てたらこれもかなりやられた。中学生の頃、NHKのロック番組で観たものなんですけどね。途中でクラプトンのギター講座があって、ヴィブラートとかだけでやられちゃう。おー、何て上手いんだ!二十歳ちょいのガキのくせに(笑)。タバコなんかギターにさしやがって…(で、皆マネる…)。ジョジョの番組テーマのイエス Roundabout だって、かかる度にイエーイですよ(笑)。

いま聴くとイマイチとかまったく思わない!わけです。

これは、僕が子どもの頃から進化してないってことなのか?いや、進化かどうかはわかんないけど、深化してる気はするんだけどな。要は子どもの頃やりたかったことを具現化すべくここまでやって来たってことかもしれない……、

と強く思うわけです。

今日はここまで。このブログ記事、たぶん3部構成くらいになります。

次回はジャズギターに出会う布川少年、ジムホールさんを語る予定…。


To Be Continued ……。


Childhood's Dream

Childhood's Dream

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